higusan's Notes

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Resolved 5519949 higusan

留館(とめだて)
[別称]遠見館
平安時代の弘仁元年(810)坂上田村麻呂が曽皆を討伐に来た時、曽皆の軍を監視する「遠見館(とうみだて)」を置いたところから、伝訛して留館と呼ばれるようになった。
ここからの眺望はすばらしく、曽慶村を一望することができて遠見館にふさわしいが、構築された館そのものは見られない。むしろ平地に望む台地を要害の館として称したように感じられる。

Resolved 5519963 higusan

三枚石(さんまいいし)[山ノ沢ニノ神山]
立石山頂から西方約350m曾慶・奥玉の境界尾根に三枚石がある。真ん中の一枚が抜き取られ二枚の石が寄りかかった状態で、二枚の石の間は小柄な人であれば通り抜けられるような状態となっていたらしい。高さ約4m60cm。 今は通り抜けられない。

Resolved 5519967 higusan

箱石(はこいし)[山ノ沢 ニノ神山]
愛宕様、立石山頂への登山道入口にある大きい石。
四角形の一番高いところは地上約4m。上面は縦2m、横1m80cmあり、5~6人は座れる。昔は農作業が一段落すると、地元の人達が石の上で景色を眺めながらお酒を呑み、おさなぶりをしたらしい。

Resolved 5519946 higusan

菊池知勇歌碑(きくちちゆう かひ)
菊池仁平(才口)の長男として生まれる。 岩手師範学校卒業後、盛岡城南小学校で教鞭をとる。綴方教育の第一人者とな 、校歌も多く作詞している。歌人としては短歌誌「ぬはり」を創刊。県内3箇所に歌碑が建立され、写真は第三歌碑で『ふるさとは夏草ふかみ さらさらと きりふりなびく音ばかり』と記されている。

Resolved 5519945 higusan

中館(なかだて)
【別称】古館、曽慶館(城)、岩淵館
この館の創始は、八幡太郎義家の家臣で、藤原秀郷の末裔下川辺庄司行平が安倍貞任の退治のあと、奥州惣横目役として奥州に下り、そうして、行平は岩淵兵庫守と相改め、曽慶を領分として此の館に居住したというのが初出のようである。 しかし、「岩淵系図」は、葛西清重の男、葛西民部太夫清成を初代として、その裔は葛西氏滅亡までこの館主であった。
葛西の家臣、岩渕兵庫頭元秀(ひょうごのかみもとひで)の慶長3年(1598 年)頃までの居城、本丸、二の丸、家老館、大手門などがあった。
岩渕兵庫頭弟曾慶太之助 (そげいだいのすけ)と言い曽慶館落城後仙台に住し、伊達家に仕官した。その孫曽慶利喜治 (りきじ)は明治9年 (1876年)北 海道に屯田入植し、現在その一族多く曽慶の姓を名乗る。

Resolved 5519960 higusan

立石(たていし) [十文字山]
高さ4m50cmの磨いたような石で、 全く自然石とは思われないほど壮観で 「坊主石」とも呼ばれている。「豆の皮もほんがほか 小豆の皮もほんがほか 立石の坊主や銭と金持ってきて貧乏の神しょって行け ホーイホイ」と 言って拝まれたとのこと。

Resolved 5519943 higusan

[結界石]
「不許葷酒入山門」(文正8年、1825年)
「葷」は葱のような臭いの強い野菜を指すが、広い意味では肉類も含む。これは修行の道場である寺 院の門内に「葷酒の立入ることを禁止する」というもの。町内では大原長泉寺の門前にも同様の塔が見られる。
[埋経塔]
「大乗眇英石書供養塔」(天保2年1831)
「砂真」は「妙典」で、「大乗妙典」即ち「法華経」 のことであり、この塔は法華経を石に書いて埋めたことをあらわすものと思われ、安全寺十九世勇山(徳応勇山)の名が記されてある。

Resolved 5519938 higusan

梅松山 安全寺(ばいしょうさん あんぜんじ)
曹洞宗梅松山安全寺は黒石正法寺の末寺として応永13年(1406)開山。正法寺第八世良鷺和尚が自らこのところを定めたといわれる。寺の門前に珍らしい古碑が2基ある。

Resolved 5519937 higusan

忠魂碑(ちゅうこんひ)
明治維新以降、日清戦争や日露戦争をはじめとする戦争や事変に出征し、戦死した曽慶出身兵士の国家への忠義を称えるために在郷軍人会渋民村分会評議員会の声掛けにより、忠魂碑を建設すべく砂子田の山林を村有地として買い入れ、村内全域より寄付金を募集し起工。大正9年10月26日、除幕式並びに招魂祭が挙行された。

Resolved 5519964 higusan

べえご(うし)石 [猫舘]
中央に背骨のような筋があり、牛が伏せた様子に似ている。 縦1m80cm、横1m15cmで、 昔は田んぼの中にあった。